自分をあきらめない!第一歩は歯科治療!
自分をあきらめたとき歯科治療もあきらめてた
私は60代でうつ病と診断される前から歯科治療に行き詰っていました。
良い歯医者さんに出会えてなかったというのが、一番の原因です。
私にとっての良い歯医者さんとは?
1.設備の整った病院であること
2.信頼に足る医師であること
3.明るく清潔で気持ちのいい院内であること
4.医師・スタッフ共に明るく親切で優しく丁寧であること
5.高額治療の患者と保険治療の患者を分け隔てしないこと
6.複数の医師が担当医にならないこと
ここまで条件をあげるとなかなか条件にあう病院がないことがわかるのではないでしょうか?
~歯科治療をあきらめる・自分をあきらめる
私の病院探しの大きな壁は、信頼に足る医師に出会えなかったことではないかと思います。
設備の整った病院に腕の良い院長がいる病院は、結構見つけることが出来ると思うのですが、保険の範囲内の治療を希望すると、院長が担当医ではなく別の医師が担当医になることが多く、その担当医が腕がいいとは限らないという現状の中で、思い出したくもないような治療を受けたことが数回あり、治療を途中でやめてしまうということを繰り返してしまいました。
その結果私の自慢だったきれいな歯並びの歯は、見るも無残な治療困難な歯になってしまいました。
その後私の家庭の事情やその他諸々の事情で歯科治療は後回しになり、更にうつ病診断・休職・退職と続いてしまい、とうとう歯科治療はあきらめてしまいました。
どうせ若くはないし、私の歯が気になる人なんていないし・・・
お金がかかって痛い思いもして、もうボロボロになりつつある歯を治療なんてする価値あるのかな?「もうここまで来たら、部分入れ歯か総入れ歯でいいかな?」などと考えていました。
~自分をもう一度みつけるまで
うつ病の治療を続ける出口の見えない毎日が、3年後ようやく終わりました。
治療が終わっても、体調が改善されている自覚などは、はっきりと感じ取れるものではありませんでした。
治療終了後に、体調を崩して再度治療を受ける方も多いと聞き、不安な日々を過ごしていましたが、いつまでも甘えているわけにはいきません。
生活のことを考えると、1日でも早くハローワークに、うつ病のため今まで申請できなかった失業保険の申請に行かなければいけませんでした。
とても負担に感じていた申請手続きを済ませると、何だか小さな自信になりました。
私が次の人生を歩き出す道を見つけるまで、まだ少し猶予される時間がある。
とても有難いことでした。
今の自分に出来ることを、とにかく一つずつ頑張ってみよう。
そう思ってまず家の片づけを始めて、少しずつ片付き始めた部屋の中で、本当に久しぶりにコーヒーを入れました。ホッとするコーヒーの香りを嗅いだ時、ふと長い間「私」という存在を、自分自身が忘れていたような気がしました。
洗面台に行き、歯を磨いて顔を洗って、今まで見ることもおっくうになっていた自分の顔を、鏡に映して改めてみてみました。欠けてしまっている前歯の差し歯、まともな歯がないほどの奥歯・・・情けなくて涙が出ました。
この歯をまともにするのに一体いくらかかるのだろう。
セラミックの差し歯・インプラント・・・以前歯の治療をした友人から、治療費に140万円もかかったという話を思い出しました。
絶望しかありませんでした。
~理想の病院探し
落ち込んだ気分で数日を過ごしました。
部分入れ歯や総入れ歯っていくらかかるのかな?
保険治療できるはずなんだけど、どんな治療なのかなと気になり始めて、Googleで検索してみました。
総入れ歯なら保険治療で安く出来ると高をくくっていましたが、調べてみるとそう簡単ではないとわかってきて、更に気分は落ち込みました。
総入れ歯すら保険治療でいい治療をしてくれそうな病院を見つけられないのです。
いくつかセラミック・インプラントということではなく、保険診療について記載されている歯科医を検索していると、数件いいなと思える記事を見つけましたが、よく見てみると保険治療についてはほとんど記載がなく、インプラントについてばかり書いてあるというのが現状でした。
その中で唯一保険診療を希望の患者に、保険診療外の提案はしないという病院をみつけました。
ホームページを読んであまりに理想通りの病院を見つけたことに、本当にこんな病院があるのだろうか?と胸が高鳴るような不思議な気持ちになりました。
「とにかく行ってみよう!」数年ぶりの強い決意に自分でも驚きました。
ここの病院がダメなら私は歯科治療はあきらめる。
そう思いながら予約をとりました。
予約を取った後で、病院は自宅から片道2時間はかかる遠い場所であることがわかりましたが、とにかく行ってみるという決意は変わりませんでした。
私にとっての理想の病院とは?で先に書いた病院の条件は、実は今通院している病院を思いながら書いたものです。
私と同じ年代の方の多くは、歯科や内科・循環器科・精神科など人それぞれではあるでしょうが、自分の思ういい医師を探していると思います。
「人の痛みは3年でも我慢できる」ということわざを、小さなとき父親から教えられました。
自分の小さな切り傷でさえ、人は痛がるものなのに、人が大病や大けがをしていて苦しそうを姿を見ても、その人の痛みを分かってあげることは出来ない。ということを言い表したものです。それほど人間は自分勝手なものなのだから、心して人の痛みをわかる人間になれと教えられました。
患者が痛い苦しいと言っていることに、寄り添い対処してくれる医師が、本当に少数であることはないのでしょうか?
経済力で患者を選別する医師が多いことも、現実なのではないでしょうか?
そんな現実の中で、私のように治療をあきらめかけている方がいたら、志のあるお医者様がこの世の中に多数いてくれることを信じて、探すことをあきらめないでと伝えたいのです。
そしてもし幸運にもそんなお医者様に出会えたのなら、多くの人に情報を伝えるべきではないでしょうか?
私も今私の主治医に、情報を発信してもいいか確認しています。
私の幸運を他の方と共有できればと思っています。